境川探訪
多摩丘陵・津久井山地の谷を源流として、相模の国と武蔵の国の境界を流れ、江ノ島へ
◆
第2日目(2007年5月4日)
宮久保橋(大和市上和田)〜鶴間1号橋(東急田園都市線南町田駅)
境川2日目である。小田急江ノ島線桜ヶ丘駅から歩いて川を目指す。前日はにわか雨で撤退を余儀なくされたが、今日は良い天気だ。宮久保橋から再開である。
1 宮久保橋から上流を望む
2
河畔の風景 その1
3 新道大橋
4
河畔の風景 その2
心和む花の風景があった。
5 河畔の風景 その3 6 河畔の風景 その4
境川流域は市街化が進んでいるため、横浜市分も含めて下水処理水が流量のうちかなりの部分を占めているのではないだろうか。
7 中部浄化センター下水処理水放流口 8 境橋
このあたりは大和駅の西側、瀬谷との境である。境川はここで相鉄線を潜る。
9 鹿島橋と相鉄線
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遊歩道の木陰
この辺はのんびりした風景。親水施設で子供が戯れている。境川で遊んだことが彼らの記憶にずっと残ることだろう。
11 親水施設 12 深瀬橋遠景
13 中島橋
14 中島橋から上流を望む
東名高速道路のあたりは田園風景といってよい。
15 東名高速橋梁 16 上瀬谷橋
ここで、246号線の大和橋にぶつかる。藤沢バイパスから、この246までは有名なサイクリング道路になっており、休日ともなると自転車の往来が多い。江ノ島まで行く人が多いのだろうか。神奈川県分のサイクリング道路はここで終点となる。246を超えると今度は左岸に町田駅方面へ続くサイクリング道路が現れる。
17 大和橋 18 目黒川合流地点
19 目黒橋 20 鶴間橋
このあたりは、景色も広々としており、河畔の道も快適である。境川は相模と武蔵の国境を流れているが、横浜市は武蔵国であり、ここまでは大和市と横浜市の市境にすぎなかった。しかしここからは左岸が町田市、つまり神奈川県と東京都の境界になる。
神奈川県や東京都多摩地区に住んでいる人ならよく知っていることだが、町田市は北方向を除いて完全に神奈川県に包囲されている。
地図
を見ていただければ一目瞭然だが、町田から鉄道や高速道路で市外に出ようとする場合は、必ず一度神奈川県を通らなければならない。
23区と伊豆小笠原諸島以外の東京都、すなわち三多摩地区が明治時代に神奈川県であったことは、
多摩川を調査したとき
にも書いたが、このような地政学的な状況から、そろそろ神奈川県に返してもらったほうがよいかもしれない。
こうなると、領土をめぐって戦争が勃発するのは歴史が教えるとおりである。神奈川県
と東京都
の間で戦争が起こった場合、町田は真っ先に神奈川県に封鎖される運命だ。ちょうど昔の
西ベルリン
のような立場だといえるだろう。戦争になって、石原知事が横田基地から空路で町田市民に救援物資を届けようとしても、
町田には飛行場がない
ので空中から投下するしかない。こうなるとパニックになった町田市民が物資に群がって、恐ろしいことになるのは目に見えている。多摩市からの陸路補給ルートもあるが、神奈川県軍は座間と横須賀の陸海在日米軍司令部と厚木基地航空勢力の協力を得て、初期の段階で多摩川西岸を一挙に制圧するだろうからそれも無理である。いくら自衛隊の司令部が市ヶ谷にあっても在日米軍の前には敵ではない。何しろ、横須賀は原子力空母の母港なのである。淵野辺や横浜港の米軍補給ルートも強力だ。多摩川を挟んで両軍が睨み合い、膠着状態になったところで埼玉県と千葉県が仲裁に入るのではないか。そうすると、多摩川が暫定的都県境になり、非武装中立地帯と
なる多摩川の河川敷には
、国連の平和維持部隊が展開することになるだろう。こうして、町田はもとより、八王子、日野、多摩、稲城など多摩川より南側の各市は神奈川県になり、明治時代に失った領土の一部を回復するとともに、人口は1千万人を超えることになるのであった....(続く)。
冗談はともかく、最近、政令指定都市になった相模原市には中心商業地区が無く、町田駅周辺がその役割を果たしていることからも、町田市と神奈川県北部には強い結びつきがあることがわかる。
21
大和市下鶴間・町田市鶴間付近
22 鶴間1号橋
景色はよいのだが、どうも今日は体が重い。昨日の疲れが残っているのかと思ったが、それにしても体がだるくて、歩こうという気力が湧いてこない。足の関節も痛い。迷ったが午前中で切り上げて、最寄りの南町田駅から帰宅した。翌日は風邪で寝込んでしまった。あの疲労感は風邪のひき始めだったと納得したのだった。
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