新河岸川探訪

 川越から江戸まで、水運のために開かれ、明治時代に鉄道が開通するまで繁栄した半人工河川。現在は、直線化され隅田川に注ぐ。
◆第3日目 2010年12月23日 旭橋(埼玉県川越市) 〜 新琵琶橋伊佐沼

 久々の新河岸川だ。6月に訪れた前回(2日目)から、はや半年、やっと旭橋より先に進むことができる。
 前回は気がつかなかったが、駅近くの地下道には写真1のようなタイル画があった。高瀬舟と河岸である。地域のシンボルなのだろう。



 1 新河岸駅近くの地下道タイル画


     2 旭橋の石碑
         

 碑文は前回工事中で撮れなかったので、今回は紹介しておこう。ここまで、五河岸のうち4つ、すなわち上下新河岸、牛子河岸、寺尾河岸跡を観てきたので、残るは扇河岸だけとなった。



  3 旭橋                       4 旭橋から上流を望む
   

  5 右岸側から新河岸川に流れこむ清流         6 扇河岸樋管
   

 残る最後の河岸、扇河岸はこの辺だろうかと当たりをつけたところに水門があった。銘板を読むと、扇河岸樋管とあるではないか。間違いない。その上流の橋の名前は「新扇橋」だった。このあたりが扇河岸跡だと思われる。
 これで五河岸を制覇したことになる。江戸時代、江戸からの物資はここまでの河岸のどこかで下ろされ、川越城下まで陸送したのだろう。

  7 扇河岸跡付近                   8 新扇橋
   

 ここで、写真9の福岡河岸記念館の図を思い出してみよう。扇河岸の上流には仙波河岸があるが、いわゆる五河岸には入っていない。そして、図によると、新河岸の源流は、仙波河岸付近及び伊佐沼ということになる。
 はたして、江戸時代の新河岸川源流はどこなのか。川越城下に近い仙波河岸はなぜ五河岸に入っていないのか。謎は深まるばかりである。

 9 福岡河岸記念館の解説板


 扇河岸跡付近には現在、新扇橋が架かっているが、そのすぐ上流で合流しているのが不老川である。普通は「ふろうがわ」と読むところだが、なんと「としとらずがわ」という名前が正式らしい。たしかに表意文字としては合っているが、昔の人らしい、なんとも強引な読ませ方である。写真11で判るように、この不老川、新河岸川と互角の水量があるようだ。

  10 新扇橋から下流を望む             11 新扇橋から上流の不老川合流地点を望む
   

  12 川越線                     13 川越線の低い通路
   

 川越線を1.5mもない低いガードでくぐり、田園地帯を抜けるといよいよ川越市街に入る。



  14 畳橋から上流を望む               15 仙波河岸を望む
   

 人工的に流路を改修したと思われるなだらかなカーブを描く川を遡ると、ついに仙波河岸史跡公園に着いた。

  16仙波河岸入り口                  17 仙波河岸史跡公園 その1
   

  18 仙波河岸史跡公園解説板 その1
 

 写真18の解説板により、なぞがとけた。仙波河岸は明治の初めに開かれたのである。江戸時代の五河岸に入っていないのはこのためだ。明治になってより川越市街地に近いここまで川を開削したのだろう。しかし、明治から大正にかけて鉄道が整備されたので、その賑わいは100年は続かなかったことになる。

  19 仙波河岸史跡公園解説板 その2
    

  20 仙波河岸史跡公園 その2            21 仙波河岸史跡公園 その3
   

  22 仙波河岸史跡公園 その4            23 仙波河岸史跡公園 その5
   

 このあたりが河岸になっていたらしい。今は水鳥が遊び、自然の池の様に見える。

  24仙波河岸史跡公園 その6             25 仙波河岸史跡公園 その7
   

 その奥には、仙波の滝という場所があり、写真26の解説板が立てられていた。それから1世紀以上の時を経て撮った、右側の写真27と比べてみると興味深い。神社への坂道の取付が変わり、茶屋のあったところは埋め立てられているが、滝はほぼそのままである。しかし、現在の滝の水源は自然の湧水ではなく、どこからか水を汲み上げているようだ。

  26 仙波河岸史跡公園解説板 その3         27 現在の仙波の滝 
   

 江戸時代はともかく、明治時代はこの滝が新河岸川の水源の一つになっていたことは確かなようだ。

 28 仙波河岸史跡公園 その8
   公園内には季節外れの紅葉が残っていた。

 29 仙波河岸史跡公園 その9




 ここから上流は大正以後に開削されたことになる。

  30 滝下橋                     31 滝下橋から下流を望む
   

  32 滝下橋から上流を望む              33 新河岸川上流水循環センター
   

 新河岸川は、こんな上流になっても、現代の他地域の例にもれず、下水処理水の放流先になっているようだ。

  34 田島橋から下流を望む              35 田島橋から上流を望む
   

  36仙波大橋                     37 仙波大橋から上流を望む
   

 人工的な河川特有の、やたらに真っ直ぐな川筋である。

  38 弁天橋から下流を望む              39 貝塚橋から上流を望む
   



  40 豪邸                      41 新琵琶橋から下流を望む
   

 笑ってしまうほど大きな石と大袈裟な門のある、川越らしい豪邸を過ぎると、大きな歩道橋のある新琵琶橋である。今日はここから本流をそれて、東にある伊佐沼に向かうことにしよう。それは、写真9を見れば判るように、少なくとも仙波河岸が出来た明治時代までは、新河岸川は伊佐沼から流れ出していたと思われるからである。Wikiその他のネット上の情報にも、そのような記載があるのでおそらくそうなのであろう。
 新河岸川の本来の源流であり、川越郊外の田園地帯の真ん中にある、大きな水辺を持つ伊佐沼を見ずして、新河岸川を語ることは許されない(らしい)。ならば、ここは寄り道をしてでも探索しておかなければならない。

  42 新琵琶橋から上流を望む             43 伊佐沼 その1
   



 広々とした青い湖面に葦が生え、水鳥が群れる楽園を想像していた私にとって、伊佐沼までの寄り道は少しも苦にならなかったが、期待が大きかっただけに、現実の伊佐沼の無残な姿を見たときには、言葉がしばらく出なかった。

 44 伊佐沼 その2


  45 新伊佐沼橋                   46 新伊佐沼橋から下流を望む
   

 九十川、つまり旧新河岸川はこの水門から流れ出しているようだ。しかし、現在は工事の影響でポンプから濁った泥水が排水されていた。

  47 打ち捨てられた舟                48 下流側から伊佐沼を望む
   

  49 伊佐沼からの排水                 50 伊佐沼流出口と九十川合流地点
   

 51 伊佐沼工事説明板 その1


 52 伊佐沼工事説明板 その2


 説明板によると、人工的な護岸を元に戻して葦などを植えるそうだが、そもそもそんなにしてしまったのは、だれなのだろうか。破壊しておいて、今度は元に戻す公共工事をやろうというのだから、日本という土建国家は、よほど税金の使い道に困っているに違いない。おそらくこの国の公共部門の財政は膨大な黒字なのであろう。



 これでは、釣屋さんも休業せざるを得ないだろう。漁業権があるようなので、その保証にもお金がかかるのだろうか。

  53 釣り道具屋                   54 合流地点から九十川上流を望む
   

 55 合流地点から九十川下流を望む           56 伊佐沼公園 その1
   

 伊佐沼の西側には、さらに上流から流れてくる九十川と公園があった。

 57 伊佐沼公園 その2


 明治時代までの源流を確かめたので、今度は旧新河岸川、現在の九十川を下ってみよう。

  58 伊佐沼橋から上流を望む             59 伊佐沼橋から下流を望む
   

 伊佐沼から流れだした水を合わせた九十川は、田園地帯の中を濁ったまま、緩やかに流れている。

  60 妙瀬橋から下流を望む              61 旧二枚橋
   

 旧二枚橋は大正時代、つまり源流が伊佐沼であったころの架橋である。
 このあたりも直線的な流路なので、江戸時代以降改修されている可能性が高い。しかし、この流れが、ほぼ江戸時代の新河岸川の流れだったのだ。

  62 二枚橋から下流を望む              63 掛樋
   



  64 九十橋から上流を望む              65 大中居付近の堰
   

  66 65の堰の下流                 67 田島橋から下流を望む
   

 田園の中、ところどころに工場やマンションが建つ、田舎でも市街地でもないような中途半端なところを九十川は流れていく。やがて、川は川越線を超える。川越線は何と単線であった。

  68 川越線踏切                   69 学校橋から上流を望む
   

  70 学校橋から下流を望む              71 新九十橋下のホームレスの住処
   

 国道254号線、新九十橋の下を無理やり通ろうとすると、写真71のようなホームレス団地があったので、急いで通り過ぎる。河沿いを歩いていると、彼らとよく遭遇するが、今のところ、トラブルはない。



  72 共栄橋から上流を望む              73 共栄橋の下流側河畔道
   

 共栄橋に着いた。九十川はここから直線的に流れて、牛子河岸跡下流で現在の新河岸川に合流するのだが、今日はそのまま下ってはいけない。ここから分岐した曲がりくねった川が、旧新河岸川流路なのである。

  74 九十川からの旧新河岸川分岐点          75 旧新河岸川流路 その1
   

 さっそく踏み込んでみるが、流れは殆ど無いものの、コンクリート護岸や堤防がなく、むしろ本流よりも新河岸川の昔の姿をよく残しているようだ。日本昔ばなしに出てくる川そのものといった雰囲気で、予期しない今日の収穫であった。
 
時の流れから取り残されたような、江戸時代とあまり変わっていないのでは、と思われる川の環境は鳥にとっても居心地が良いらしく、白鷺が本来の姿を見せているように感じられた。

 76 旧新河岸川河川流路 その2


 しかし、現在ほとんどその役割を失っているこの旧河川流路が、埋め立てられないで現在まで残っていたというのは、奇跡的である。このあたりは水害が多いらしいので、現在も排水路としての役割が期待されているのかもしれない。

  77 旧新河岸川河川流路 その3           78 旧新河岸川流路その4
   

 雰囲気は最高であるが、水の流れが澱んでいるのが残念である。昔は、伊佐沼からの豊富な水がとうとうと流れていたことだろう。坊主頭で薄汚れた着物を着た100年前の子供たちが魚を捕るのに夢中になっている光景が眼に浮かぶようである。

  79 旧新河岸川流路 その5            80 旧新河岸川流路から現新河岸川への水門
   

 旧新河岸川はこの水門で現在の新河岸川と接続する。

  81 水門新河岸川側                 82 旭橋から下流を望む
   

 そして、出発地点である旭橋に戻ってきた。今日は、新河岸川で舟運が行われていた頃の最奥部の仙波河岸跡と、本来の源流となっていた伊佐沼を訪ねることが出来た。今日の探索で改修前の新河岸川の歴史的な全貌がほぼつかめたと言えるだろう。
 特に、旭橋上流の新河岸川の旧流路がほぼそのままの形で発見できたことは、興味深かった。
 仙波河岸跡より上流は、大正以降、舟運が衰えてからの新河岸川となる。もうひとつの興味である、現在の新河岸川の最初の一滴はどこなのか、という点については、川越の街中を流れる新河岸川の姿と共に、次回、いよいよ明らかになるはずである。

 (本日の歩数:28832歩)

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