石 神 井 川 (しゃくじいがわ) 探 訪
武蔵野台地から湧き出て東へ、練馬区、板橋区を横断し、北区で隅田川と合流する典型的都市河川
◆
第2日目(2013年2月3日)
豊島園駅
(東京都練馬区練馬)
〜 下野谷橋
(東京都西東京市東伏見)
王子駅付近での江戸時代の華やかな面影を残した石神井川を、上流へと遡ってきた。2日目の今日は、豊島園からの出発である。西武池袋線で豊島園へ向かう。
豊島園は、説明するまでもない古くからある遊園地である。石神井川が中央を流れる豊島園は、何と
練馬城
址なんだそうで、殿様は「豊島氏」である。豊島氏については、あまり良く知らなかったが、今日は後ほど再登場してもらうことになるので、ここでは触れないことにする。城の遺跡は、遊園地により破壊されてしまったようである。どちらにしても、城址も石神井川も入園料を払わなければ見られないので今日は外側を迂回することにして、中之橋から北回りで歩こう。
城が造られたのは当然石神井川があったからなので、掘割として城の防御の重要な役割を担ったに違いない。
1 豊島園 2 中之橋
3 中之橋から上流を望む 4 石川橋から下流の豊島園を望む
迂回して豊島園の西端についた。石川橋である。この辺りは水量も豊富で、水草が見られるほど綺麗である。
5 石川橋から上流を望む 6 水草の繁茂
豊島園を過ぎると川は住宅地の中を西へ遡っていく。河畔の歩道が整備されている典型的ジョギング兼犬のお散歩コースである。東京もこの辺りまで来ると、少しゆとりが出てくる感じだろうか。
7 田中橋 8 神路橋から上流を望む
9 道楽橋 10 新小橋から上流を望む
ここで石神井川は環状8号線を斜めに横切る。ここでも河床には緑が見られる。なんという水草の種類だろう。
11 新小橋上流の河床 12 貫井橋と環状8号線
13 練馬大橋 14 目白通りを並走する石神井川
練馬大橋で目白通りを横切り、しばらく並走するが、やがて石神井川は南へ。
15 境橋から上流を望む 16 上新田橋から上流を望む
17 右岸の緑道 18 送電線(豊島園線)
19 大野橋 20 こぶし橋から上流を望む
21 こぶし橋・谷原三之橋間の緑道 22 桜見橋
このあたりでは南に向かって遡っていく。
23 桜見橋・谷原二之橋間の緑道 24 すずしろ橋
25 高野橋から上流を望む 26 高富士見橋から上流を望む
線路は西武池袋線だ。練馬高野台駅の横を通って、赤い欄干の薬師堂橋に着いた。
27 練馬高野台駅 28 下薬師堂橋から上流を望む
29 練馬高野台駅付近の流れ 30 薬師堂橋から上流を望む
31 高野台付近の緑道 32 長光寺橋と笹目通り
33 長光寺橋公園 その1 34 長光寺公園 その2
35 平成みあい橋
笹目通りを過ぎると公園の雰囲気である。
36 平成みあい橋から上流を望む
両側に都営住宅が並び、中央を美しく整備された石神井川が流れている。まるで多摩ニュータウンのような光景である。歩いていて実に気持ちがいい。
37 都営南田中アパート付近の流れ 38 澄んだ水
この人工的だが平和な風景は、山下橋で終わる。
39 都営南田中アパート付近の緑道 40 山下橋
41 石神井町付近の緑道 その1 42 石神井町付近の緑道 その2
この辺りは整備されてからあまり時間が経っていない感じだ。このくらい徹底的に工事が行われるともはや元の川がどのように流れていたのか、想像するのも難しい。
43 憩い橋 44 憩い橋から上流を望む
45 豊島橋から下流を望む 46 睦橋から上流を望む
47 根ヶ原橋 48 庭先に残る雪
庭先にはまだ雪が残っていた。住宅地の中をひたすら遡っていく。
49 根ヶ原橋から上流を望む 50 茜歩道橋から上流を望む
51 石神井町5丁目付近 52 蛍橋
河畔の道は広くて歩いていても快適そのものだ。
蛍橋に到着した。ここから、一旦石神井川を離れて右折し、石神井公園へ向かおう。
53 石神井公園ふるさと文化館・石神井プール 54 石神井公園入口
人がたくさんいる。井の頭公園や善福寺公園と同様、武蔵野台地の末端の窪地から湧水が湧き出ている場所である。この場所から右、東側には石神井池が細長く伸びている。西側にあるのは、三宝寺池だ。
55 石神井公園案内図
56 石神井池水源
石神井池の西端には写真56のような水源があった。ただし、近づいてみると明らかに湧水ではないので、地下水を汲み上げているか、どこからかの揚水だと思われた。周囲には葦が枯れている。
57 石神井池南側 その1
石神井池を反時計回りに歩いてみよう。南側から池の北側を見ると、写真のように斜面には瀟洒な住宅が立ち並んで、なかなかの景観を醸し出している。ちょっとヨーロッパ風の庭園住宅群といった感じである。
58 石神井池南側 その2
59 中の島
池の中央部には小さな島がある。
60 石神井池南側 その3
意外にも石神井池は人工の池らしい。三宝寺池からの水路をせき止めて池にしたとのこと。できたのは1933年(昭和8年)と以外に新しく、まだ100年も経っていない。
農業用水路を潰してまで、なぜ池を作ったのだろうか。西武池袋線の前身である武蔵野鉄道の開通が1915年(大正4年)とのことなので、その頃急速に住宅地として発達し、公園として整備されたのかもしれない。
61 石神井池南側 その4
石神井公園は、Mr.Childrenの桜井和寿のジョギングコースだったことでも知られている。ここで歌詞を思いついたという
Tomorrow never knows
であるが、個人的には結構カラオケで歌う歌である。ミスチルをはじめて聴いたのは、
Innocent world
だが、この曲を聴いた時、なんて才能のあるバンドだろうと感心した覚えがある。その後の活躍は皆さんが知るとおりだ。
Mr.Children
62 石神井池のボート 63 石神井池東端流出口
石神井池の東端に着いた。ここから、写真63のように水が流れ出ている。その先は、どうなっているのだろうか。
64 和田堀緑道 その1 65 和田堀緑道 その2
答えは、写真64から66のとおり、整備された緑道となっており、地下に暗渠の水路が続いているようだ。その暗渠の先はどうなっているのか、さらに追っていくと、写真67のとおり、石神井川に開口部があった。先ほど通った山下橋のすぐ上流側である。しかし、水は流れていない。石神井池の余水は、通常時は下水道?に流されているらしく、増水時だけ石神井池に溢れ出る仕組みになっているようだ。おそらく、降雨時の石神井川の急激な増水を避けるためだろう。
66 和田堀緑道 その3 67 和田堀緑道下の排水溝の石神井川合流
山下橋から再び石神井池に戻る。売店があり、沢山の人で賑わっている。記念撮影用の場所まであって、ちょっとした観光地のようだ。
68 石神井池東側の売店 69 だんご
そして、そこには江戸時代から続く(ホントかよ?)団子売りが.... まあ、いつから団子を売っているかは横に置いといて、昼時の空腹時にこれを見せられると、つらい。つい、本能に負けて、1本お買い上げである。人間とはなんて弱いものだとつくづく思う。甘い味噌を塗ってもらって、甘いねっとりとした団子を頬張りながら、行儀悪く池の北側を歩く。
70 だんごを買う 71 ロニオン
団子とは対照的に、いかにもという作りのイタリアンレストランがあったりして、高級感漂う雰囲気がなかなか良い。池に向かって立ち並ぶ住宅もなかなか立派で高級住宅街といっても良いだろう。しかし、ここは練馬区である。
典型的戦後昭和世代の私としては、練馬区と聞くと「練馬大根」が思い浮かぶくらいで、田舎のイメージが強かった。おそらくテレビなどの影響かもしれないが、いわゆる山手地区と比べると23区の中でも郊外に位置していたからだろう。そんな練馬区にこんな高級住宅地があると知って驚いたというのが正直な感想である。実は、石神井池周辺は、都内屈指の高級住宅地として知られているらしい。無知とは恐ろしいものだ。やはり、自分の足で歩き自分の目でみることが大切だ。イメージだけで語ってはいけないのである。
練馬区在住の方は気分を害されたと思うが、巨大津波が来たら水没してしまうような神奈川の田舎者の戯言として笑って許していただきたい。もちろん、抗議は一切受け付けないのであるが。
それにしても、池の北側の河川が侵食した崖面に建っている高級住宅は、石神井公園の緑と池を自分の庭のように借景できるので、ものすごくお得である。なにしろ、庭は自治体が管理してくれるので、管理費は一切かからないのである。
72 RC船 73 石神井池北側
ここ、石神井池はラジコンの船のメッカになっている。写真は漁船のようだが、クルーザーやヨット、新旧の戦闘艦等バラエティーに富んでいる。私が考える究極のラジコンボートは航空母艦である。それも、甲板上にラジコン航空機が並んでいて、これがラジコンで離発着できたらすごいだろう。ジェット機が無理なら、最近海上自衛隊で流行っているヘリ空母でもいい。ラジコンヘリの大きさから考えると、空母は10mくらいの巨大なものになりそうだが。誰か作って石神井池に浮かべたら、テレビ局が取材に来ることは間違いない。さて、妄想はこれくらいにして先に進もう。
74 三宝寺池案内板
道路を横断して、今度は三宝寺池の方に行ってみよう。こちらは本当の湧水池である。三宝寺池と石神井池は水路でつながっている。
75 三宝寺池から石神井池への水路 その1 76 水路に沈められたトラップ その2
その水路の途中に、トラップが仕掛けてあった。小魚がかかっている。
77 トラップの獲物 78 三宝寺池へ
連絡水路の池と三宝寺池は直接繋がっていなかった。しかし、水の流れは必ず繋がっているはずた。探しまわった挙句見つけたのが、写真79の連絡パイプである。
79 三宝寺池内の連絡パイプ 80 焼き芋屋さん
完全に昭和テイストの売店を抜けると写真82の湧水地帯である。ここにはなんと昔、プールがあったというのだがちょっと信じられない感じだ。
81 昔ながらの売店 82 三宝寺池横の湧水池
83 三宝寺池 その1
三宝寺池は武蔵野の自然が色濃く残る野趣にあふれた素晴らしい景観を現代に残している。
84 周遊歩道 85 外来魚の駆除説明板
ここでは、コイが外来種として明確に駆除対象になっている。しかし、人を見ると写真86のようにコイが餌を求めて集まってくる。コイを放す人や餌をやる人がいるのだろう。三宝寺池の生態系を守るために、出来れば有害魚駆除として釣り人に釣ってもらったらどうだろうか。
86 コイの群れ 87 三宝寺池 その2
88 三宝寺池 その3
23区内とは思えない自然である。玉川上水の開通以前の開発される前の武蔵野台地はこんな光景の原野だったのだろうか。
89 水源 その1 90 水源 その2
水源があるが、明らかに湧水ではない。井戸水を汲み上げているのだろう。
91 三宝寺池 その4
93 三宝寺池 解説板
94 水源 その3 95 東屋
96 三宝寺池沼沢植物群落解説板
97 水神社 98 水辺観察園
99 石神井城跡 100 城址から見た三宝寺池
ここは、石神井城址である。ここでも豊島園の練馬城と同じく、石神井川が防御のための堀として利用されている。そして、練馬城址である豊島園で名前の出た豊島氏の登場だ。平安時代以来この地に君臨した豊島氏であるが、室町時代末期(戦国時代初期)、この城の主の豊島泰経は、山内上杉家の内紛でついにあの太田道灌に滅ぼされてしまった。それにしても太田道灌、上杉家の番頭に過ぎないにもかかわらず、関東地方のどこに行ってもその名が出てくる恐ろしいほどの男である。主君に殺されなかったら、同世代の北条早雲の良きライバルになっただろう。その後の北条氏の繁栄はなかったかもしれない。
101 石神井城跡解説板 その1
102 石神井城跡解説板 その2
ここまで「豊島」という地名、名前が飛び交っている。豊島区といえば、まず池袋を思い浮かべる。しかし、豊島園は、豊島区ではなく練馬区で練馬城址、豊島氏の本拠地は練馬区の石神井城、さらに北区豊島という住所があるなど、ワケがわからない事になっている。
要するに地名が先にあったということらしい。豊島の地名の由来は、東京湾が入り込んでいて、多くの島があったから。武蔵国豊島郡は、現在の江東区などの下町を除く、中央区、台東区から練馬区までの23区のほとんどを占めていた。平安時代、そこに秩父から入ってきた平氏の末裔が豊島氏を名乗ってこの広い範囲を支配したので、各地域に「豊島」が入り乱れているようにみえるわけだ。
石神井公園を後にして、再び石神井川にもどる。相変わらず直線のコンクリート河川であるが、ちょうどこの区間が整備の真っ最中である。
103 松之木橋から上流を望む 104 上御成橋から上流を望む
105 栄橋 106 上石神井町三丁目の工事
107 整備歩道の終点 108 工事費用解説
工事についての解説板があったが、その中で写真108の断面図ととも工事費用の内訳が目を引いた。都がどのような意図で載せたのかわからないが、国と都の工事費用分担をみると非常に興味深い。全体約3億のうち、なんと2億3千万、8割近くが国費である。
東京都は法人本社が集中し人口も多い日本一裕福な自治体だが、それでも残りの2割、6480万円しか出していないのである。たったこれだけの工事に2億3千万という巨費を出せる、その財源と配分権、これが国、つまり、国交省やその財布を握る財務省の官僚、そしてそれに群がる族議員とよばれる人たちの権力の根源である。しかし、よく考えてみれば、こんな小さな川の改修にいちいち国が金と口をだすことが本当に必要だろうか。
道州制など、いくら、地方分権を叫んでも、全く進まないのは、この公共工事の莫大な予算の配分権を彼らが手離したくないからである。そして、都市部の税収を地方に再配分するという仕組みも彼らにとって旨味が大きい。均衡ある国土の発展という名のもとに東京都民が稼いだ税金を公共工事により地方にばらまくという日本の構造的な不平等である。これは、議員定数にも反映していて、最高裁で違憲判決が出ても、一票の格差が是正されにくい一つの理由である。定数がオートマティックな人口比例になるまでには、まだ相当かかりそうである。
それにしても、この小さな川をほんの数百メートル改修するだけでこれだけのお金がかかるのだから、全国の公共事業に一体どれだけの税金が投入されているのか、いや、そうではなかった。日々、どれだけの借金を積み重ねているのかを考えると空恐ろしくなる。
109 愛宕橋から上流を望む 110 扇橋から下流を望む
111 集い橋から上流を望む 112 西豊城橋から下流を望む
113 河畔の道が途切れる 114 曙橋から上流を望む
川の周りがゴミゴミしてきた。駅が近い。
115 稲荷橋から上流を望む 116 関新橋から上流を望む
117 武蔵関駅北口 118 睦橋歩道橋から上流を望む
西武新宿線の武蔵関駅の横を過ぎる。石神井川は、西武線の下をトンネルで流れている。
119 本立寺 120 西武新宿線暗渠
121 西武新宿線の南側を流れる石神井川 122 弁天橋
しばらく、西武新宿線と並行した石神井川であるが、その先は富士見池だ。
123 富士見池流出口と石神井川分岐 124 富士見池解説板
125 武蔵関公園橋 126 富士見池東端
127 富士見池 その1
128 富士見池 その2
129 富士見池 その3
130 武蔵関公園案内図
131 富士見池 その4 132 富士見池の横を流れる石神井川
石神井川は池の横を流れている。
133 富士見池 その5 134 富士見池上流端
富士見池が終わると、溜淵橋である。この橋を渡ると練馬区から西東京市に足を踏み入れることになる。西東京市はまだピンとこない。田無市のほうが馴染みがある。
この橋から上流も整備工事中だ。左岸側には、早稲田大学の野球練習場があった。ハンカチ王子もここで練習していたのだろうか。
135 溜淵橋 136 溜淵橋から上流を望む
137 早大野球練習場付近 138 早大野球練習場
残念ながら左岸側の河畔の緑道は行き止まり、右岸側は看板は通れると書いてあったがやはりダメで、時間と体力をロスしてしまった。上流の下野谷橋は工事中だったので遠くから見るだけにする。
139 行き止まりの緑道 140 下野谷橋
この辺りは早大のスポーツ施設が集まっているようだ。
141 弥生橋 142 弥生橋から下流を望む
まだ新しい弥生橋に着き、石神井川を見ると、そこには1滴の水も流れていなかった。凹地にわずかに水が溜まっているだけだ。予想外である。冬とはいえ、こんな下流で干からびてしまうほど湧水が少なくなってしまったという事だろうか。そうすると、川の始まりはどこなんだろう。気を取り直して先ほどしっかりと見なかった下野谷橋にもう一度行って見ることにしよう。
143 弥生橋から上流を望む 144 弥生橋下流から下野谷橋を望む
145 下野谷橋河川工事 その1 146 下野谷橋河川工事 その2
下野谷橋は工事の最盛期である。写真145は新しい橋の基礎部分だろうか。水源を探してみると、それは写真147のパイプからの水であることが判った。しかし、このパイプの水がどこから来ているのだろう。工事現場での湧水なのか、上流からの水が工事の妨げになるのでパイプでバイパスしているのか、よくわからなかった。ただ、ここ、下野谷橋工事現場が現在の石神井川の源であることだけは事実である。もう少し源流らしい環境を想像していたので、ちょっとショックを受けて、気持ちが萎えた。
今日はここまでにして、新たに出直そう。早稲田大学の学生らしき若者が行き交う道で、東伏見駅から帰途に着いた。
147 下野谷橋河川工事 その3 148 東伏見駅南口
GPSによる本日の歩行経路
(時間:5h17m 距離:24.1km 累積標高:+753m -737m)
今日は、石神井川の生命線である三宝寺池などの湧水池をタップリとみることができた。現在は、住宅地の中にあり、都民の憩いの場として親しまれているが、豊島氏の本拠地だったということは、大田道灌が江戸城を築城するまでは練馬区のこのあたりが東京都南部の中心地であったわけである。
石神井川は整備が進んでおり、現在武蔵関公園より上流の工事が進んでいる。川の姿も急速に変わっていくのだろう。そして、かつては流域の人々の暮らしを支えてきた豊富な湧水も石神井川の流れも、ほとんど枯渇してしまった現実を目の当たりにしたわけであるが、そのことを都民が深刻に受け止めているようには思えなかった。それでも生活排水で泡立つ下水道整備前の死んだ石神井川よりも水の流れない今の石神井川の方がまだマシだということだろう。
次回は、石神井川の源流は本当に下野谷橋なのか、そして現在の水源であるパイプからの流入はどこから来ているのか、など、いくつかの謎に挑戦していくことにしよう。
(本日の歩数:33354歩)
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第3日目(2013年3月2日)下野谷橋 〜 源流跡
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