多 摩 川 探 訪

山梨県と埼玉県の県境、奥秩父の山中から流れ出て、奥多摩湖を経て、多摩地区を流れ、神奈川県と東京都の境界を下り、羽田と川崎の埋め立て地で東京湾に注ぐ大河
第3+6日目 (2009年10月23日) 丹波山温泉一之瀬高原(甲州市)

 ここまでは、比較的順調にきた多摩川遡行であるが、この先は難題が出てくる。まず、バスは丹波山村までしか運行していない。その先に公共交通機関はないのである。日帰りで踏破するには、自家用車かタクシーを利用するしかない。
 水源までは、登山道を登っていくしかないことを考えると、事実上の選択肢は、人が住む最後の集落である一之瀬高原の民宿で一泊するしかないだろう。あまりにもハードな行程であるため、天候や不慮の事態などリスクが多く、土日で実行するのは危険すぎる。予備日を設けるべきだと考え、金曜日に休みを取って2日間+予備日1日で決行することにした。
 そこで、奥多摩駅発丹波行きバスの時刻を調べると、とんでもないことがわかった。平日午前中のバスは6時55分発しかないのである。神奈川県南部の自宅をいくら早く出ても、絶対に間に合わない時間だ。これは、前泊するしかない。
 10月21日に週間天気予報を最終確認し、22日夜から24日までの2泊2日での決行を決定。前泊地は、奥多摩や青梅には良い宿がなく、福生も満室だったが、ラッキーなことに羽村駅前のビジネスホテルが空いていたため予約。
 一之瀬の民宿も予約するが、転送電話になっていた。おばあさんが一人でやっているらしい。耳が遠いので、直接話が出来ないといわれ、少し不安になる。
 木曜日は、仕事を7時前に終わらせて、直接羽村へ向かい、9時半頃にホテルに着いた。羽村は夜も意外と寂しいところだ。本人はでないが、民宿にも確認の電話を入れておく。
 翌日は、朝4時半に起きる。フロントは開いていないが、前払いなので、そのままホテルを出て駅に向かうと、ちょうど下り始発電車が出たばかりであった。予定していた次の電車に乗り、奥多摩駅に6時50分に着く。5分後に登山客数人を乗せて駅を出発したバスは、50分ほどで丹波山温泉に到着した。
 今日はなんとしても一之瀬まで行かなければならないが、出発が早いので大丈夫だろう。

  1 丹波川と丹波山温泉
   

 
丹波山の朝の空気は実にすがすがしいが、空が曇っているのが気にかかる。

       
本日の気象衛星写真 (日本気象協会 tenki.jp)
   





 
温泉はもちろん未だ開いていない。前回、ちょうど上のほうが色づき始めていた温泉の玄関横の木を撮ったので、今回撮った写真と比べると、この2週間弱でかなり赤くなっているのがわかる。

  2 丹波山温泉「のめこい湯」             2−2 前回 10/11に撮影した写真

   

  3 高尾橋から下流を望む               4 高尾橋から上流を望む
   

 丹波山村の中心を流れる川には、何本か橋が架かっていて、わたってみる。清流に囲まれた村の朝は、驚くほど静かだ。

  5 橋詰橋から下流を望む               6 橋詰橋から上流を望む
   

  7 橋詰橋と丹波山村中心集落             8 交流促進センター四季の森
   

 ここ丹波山村は川で遊び、山に登り、温泉にも入ってのんびりできる、桃源郷のようなところである。ただ、都内から車で日帰りが出来ることから、あまり大きな旅館やホテルはないようだ。
 むかしは青梅街道の宿場町として栄えたところである。

  9 村営の釣り場とやまびこ橋             10 やまびこ橋から下上流を望む
   

 川沿いの木々の紅葉は写真より実物のほうがずっと美しい。

  11 やまびこ橋から上流を望む            12 ゲートボール場
   



 河原は広々として、気持ちの良い流れが続く。

  13 清水橋から下流を望む              14 清水橋から上流を望む
   

 村の西のはずれに架かっているのが源太郎橋である。ここから先は、また両岸に険しい山が迫ってくる。

  15 源太郎川橋から下流を望む            16 源太郎川橋から上流を望む
   

  17 おいらん堂                   18 デク
   

 川から街道に出る途中の坂道に、悲しい言い伝えを持つ「おいらん堂」があった。思わず木像に手を合わせる。

 19 おいらん堂解説板

  20 山吹橋を望む                  21 山吹橋
   

 山中に、つり橋があった。生活道路ではなく、ハイキングコースの橋らしい。

  22 山吹橋から下流を望む              23 山吹橋から上流を望む
   



 街道沿いに、怪しい場所があった。道路の両側に雑然とした建物が並ぶ。キノコや野菜、川魚などを売っているらしい。店主らしいおじさんに挨拶された。
 店を過ぎて、さらに歩いていると、路上に写真24のような動物の足が落ちていた。驚きながらも良く見ると、どうもイノシシの足のようだ。しかし、考えてみてほしい。ここは、天下の青梅街道、れっきとした国道411号線である。国道に何気なくイノシシの足が落ちているとは.....なんとも山奥まで来てしまったものだ。推測だが、この足は先ほどのおじさんが放置したものだと思う。

  24 動物の足                    25 余慶橋から下流を望む
   

 先ほどのイノシシおじさんを最後に、人はまったく見かけなくなった。いよいよ秘境丹波渓谷である。

  26 余慶橋から上流を望む              27 ナメトロへの階段
   

 28 ナメトロ付近から対岸を望む

 29 ナメトロ解説板


 ナメトロには、写真27のような階段があったので、降りてみる。そこは、手すりも何もない崖の中段で、目の前には対岸の岩肌がすくそこに迫っていた。幅数メートルだろうか。覗き込むと、丸太橋のようなものがある。しかし、対岸は絶壁で渡っても登れない。何のために2本の丸太が渡してあるのか、謎である。大雨のときに流木が引っかかったのだろうか。
 カメラを構えていると足元が危険である。クレヨンしんちゃんの作者のようになってもいけないので、あまり覗き込むのはやめておこう。写真30が精一杯である。

  30 ナメトロ その1                31 ナメトロ その2
   

 丹波渓谷と銘打つだけあって、豪快な光景が続く。

  32 ナメトロ その3
   



  33 羽根戸トンネルへ向かう             34 新羽根戸橋から下流を望む
   

  35 ふなこし橋から上流を望む            36 大常木橋から下流を望む
   

  37 大常木橋から上流を望む             38 丹波川の谷と丹波山トンネル
   

 険しい崖に沿っていた国道も、トンネルによって少しずつ改良されているようだ。山からは滝が落ちてきて、写真40のように汲めるようになっている。水量は豊富だ。

  39 丹波山トンネル脇の旧道             40 滝から引いた湧き水
   

 平日ということもあってか、ここまでくると車も少なく、美しい景色もあいまって国道歩きが苦にならない。天気も晴れて最高の気分だ。

    午後の気象衛星写真 (日本気象協会 tenki.jp)
   

 ここであることを思いつく。荷物になるので、途中で捨てても良いように、100円ショップのパンツを2枚買った。3日間なので、1枚足りない。そこで、昨日、ホテルでパンツを洗ったのだが、それがまだ完全に乾いていなかったのである。人がいないのをこれ幸いに、写真41のようにリュックの後ろに下げて、歩きながら乾かすことにした。まあ、遠目には、タオルか何かに見えるだろう。

  41 洗濯物の新しい干し方              42 甲府まで50km
   



  43 三條橋から下流を望む              44 三條橋から上流を望む
   

 三條橋についた。ここで丹波川は、あの大菩薩嶺から流れてくる小室川と合流する。写真43の右側の流れが、小室川である。この橋を渡って林道へ入っていく車が多い。抜け道になっているのだろうか。
 すぐ先には、尾崎東京市長が水源を視察した記念碑が立っている。天皇ならともかく、自治体の首長が視察しただけで碑が建つというのも大げさな気がするが、当時の尾崎行雄がよほど偉かったのか、それともこんな山奥までくるのがよっぽど大変だったのか、時代が違うといってしまえばそれだけだが、当時としては、大事だったのだろう。
 と書いていたら、解説をよく読むと、碑が建ったのは昭和38年であった。将来を見越した植林が後年評価されたということか。

  45 尾崎行雄水源調査記念碑案内塔          46 尾崎行雄水源調査記念碑
   

  47 尾崎行雄水源調査記念碑解説板
   

  48 大常木第一洞門                 49 岩松盗掘の警告板
   

 写真49は、通行中の皆様向けというよりも、明らかに盗掘者向けの警告だと思うが、写真50のような断崖を登る盗掘者も命がけだろう。
 それにしても、ところどころに混じる紅一点の紅葉と岩の対比が実に美しい。

 50 岩松の生える対岸の岩場




 交通の難所なので、今もトンネルを掘って道路の改良が続けられている。

  51 大常木バイパストンネル工事現場          52 工事中のバイパスとトンネル
    

  53 一之瀬川橋を望む                54 一之瀬川橋から丹波川下流を望む
   

 落石防止シェルターを過ぎると、一之瀬川橋に着く。

  55 一之瀬川橋から一之瀬川と柳沢川合流地点を望む  56 合流地点上流に流れ込む滝
   

 ここで、丹波川という名称は終わる。笠取山から流れてくる一之瀬川と柳沢峠から流れてくる柳沢川が合流するのである。青梅街道は、柳沢川沿いに続くので、多摩川本流である一之瀬川は、青梅街道と別れを告げることになる。道は甲州市に入る。
 一之瀬川を遡る道は、まだ分岐しないので、柳沢川を遡上するが、すぐに塔婆のようなものが現れる。おいらん渕である。その由来故事は写真59の解説板をお読みいただくほうが正確だ。

  57 甲州市境界標識                 58 おいらん渕供養塔 
   

 59 黒川金山とおいらん渕解説板  

 朝に訪ねた丹波山村のおいらん堂と符合する記載だ。遊女を殺したという伝説は、案外事実だったのではないかという気がする。山の中に、鉱夫を中心に千人の人口があれば、慰安施設は必ず存在していたはずだ。戦国時代、武田氏は滅亡寸前、勝頼とその家族も自害することになるのだから、具体的な方法はともかく、これくらいのことをやるのは不自然ではない気がする。後世に誇ることではないから、資料が残っていないのは仕方がないので、伝説のまま語り継がれるのだろう。今では、心霊スポットとしても有名らしい。
 もっとも、おいらんという言葉は江戸時代以降のものということなので、伝承とともに多少の脚色はあるのかもしれない。
 その黒川金山だが、黒川山の山奥に遺構が今も残っているらしい。機会があったらいってみたいものだ。

  60 おいらん渕展望台                61 おいらん渕を覗き込む
   

 コンクリートの張り出したステージがあるので覗いてみるが、暗く深い谷であった。当時の水量はもっと多かっただろうから、ここから落とされたら助からないだろう。

  62 おいらん渕上流の柳沢川 その1         63 おいらん渕上流の柳沢川 その2
   



  64 大常木バイパストンネル工事現場上流側      65 国道411号線から下流を望む
   

 ここでは、国道が180度折れる急カーブで高度を上げる。写真65でもわかるように、その難所を解消するために、トンネル工事をしているらしい。その国道から分岐して、一之瀬川沿いに通じているのが、林道一之瀬線である。
 ここで、ずっと一緒だった青梅街道と別れを告げることになる。

  66 林道一ノ瀬線入り口               67 林道
   

 林道は、川の右岸の山の中腹に建設されているので、深い谷底からは、川の音しか聞こえない。
 写真68のように、前方には水源となる奥多摩最深部の山々が、そして、振り返れば、写真69の中央やや右に先ほどの黒川金山のあった黒川山が見える。

  68 林道から見る上流の谷              69 下流の谷を振り返る
   



 林道の脇で、前日の夜に羽村駅前のコンビニで買った昼食を食べる。出発が早かったこともあり、ここまでは非常に順調なペースだ。携帯の電波は圏外で通じないようだ。

  70 昼食                      71 紅葉の山
   



 林道をひたすら1時間半ほど歩くと、小さな橋に着いた。石楠花橋だ。一之瀬の集落まであと少しである。

  72 石楠花橋から上流を望む             73 石楠花橋上流の一之瀬川 その1
   

  74 石楠花橋上流の一之瀬川 その2         75 清冽な流れ
   

 あれほど谷底にあった川は、いつの間にか、すぐそばに近づいていた。川に降りてみる。美しい渓流だ。あの多摩川がここまで姿を変えたかと思うと感慨深いものがある。

 76 石楠花橋上流の一之瀬川 その3

  77 石楠花橋上流の一之瀬川 その4         78 オートキャンプ場入り口
   

 紅葉が美しい道を進むと、オートキャンプ場があった。久々の人間の生活の痕跡である。
 地図によるとこのあたりで、一之瀬川と中川が合流しているらしいが、キャンプ場の中なので確認できなかった。



 ついに、一之瀬の集落に到着する。いままでの険しい谷がウソの様な、美しい高原が広がっている。一之瀬の集落は、上の地図のとおり、一ノ瀬、二ノ瀬、三ノ瀬の3つの集落に別れているらしい。

  79 一之瀬集落の入り口               80 一之瀬集落(二ノ瀬) その1
   

  81 一之瀬集落(二ノ瀬) その2            82 空き地のススキ原
   

 ススキ野原は、自然の草原というよりも、昔、人家があったという感じの土地である。人の気配はなく、例えは悪いが、病気で村人がみな死んでしまい、家だけが残った、というような不思議な静けさと虚無感が漂っている。



  83 中川沿いの園地                 84 中川沿い園地の紅葉 その1
   

 ここを流れているのは、本流の一之瀬川ではなく、中川であるが、集落の中なので、残念ながらコンクリートで直線的に固められている。

  85 中川沿い園地の紅葉 その2           86 中川、東川合流地点
   

 人の気配はないが、紅葉だけは強烈な鮮やかさを見せている。人に見られることがない分、自己主張しているような色だ。

 87 中川沿い園地の紅葉 その3


 88 中川沿い園地の紅葉 その4


 以前は、もっと多くの人が住んでいた形跡があちこちに見られる。

  89 民家跡                     90 茅葺の民家
   

 茅葺の家には今も人が住んでいるようで、番犬の黒い犬が、めったに来ないであろう見知らぬ侵入者に対して、激しく吠える。近づくと、なんと黒い犬は鎖につながれていないではないか。ここでは、日本の法律は適用されないようだ。咬まれないように犬との間合いを取りつつ通り過ぎると、やがて犬も相手は犯罪者ではないと悟ったらしく、少しおとなしくなった。



 家々は、時が止まったような昔のままの姿で、古き日本のふるさとをテーマとした映画のセットのような感じだ。
 一之瀬の集落について調べてみると、以外にも、ここでも例の黒川金山が関係していた。金山が閉山になった後、関係者は、全国に散っていったが、1655〜58年頃に、一部の人たちがこの地に住み着いて、農業や林業などをしながら暮らしていたらしい。これが、一之瀬集落の起源ということなので、現在住んでいる人たちの祖先は、金山で働いていた人だったのかもしれない。

  91 民宿奥多摩館                  92 二ノ瀬橋
   

 写真91の立派な民宿には、おばあさんの姿が見えた。初めて動く住人を見たことになる。
 時刻はまだ、1時半である。予想外に早く着いてしまったようなので、民宿に電話をしようと携帯を取り出すが、そこには赤い圏外のマークが.... ショックである。山中や谷底ならわかるが、ここはれっきとした人里である。一之瀬高原という、一応、キャンプ場もあるリゾート?なのに....
 仕方がないので、時間つぶしに今夜の宿とは反対方向の川上のほうまで行ってみることにした。

  93 二ノ瀬橋から中川上流を望む           94 二ノ瀬橋から中川下流を望む
   

  95 小さな祠                    96 貸別荘
   

 このあたりは、キャンプ場と別荘地となっていて、人がいないリゾートといった感じだ。夏は結構人が来るのだろうか。ちなみに、標高は1200mほどあるため、夏は涼しいのかもしれない。ここではNTTのアンテナを発見した。しかし、残念ながら、私の携帯はauである。

  97 日の出荘キャンプ場 その1           98 日の出荘キャンプ場 その2
   



 山々は、杉の人工林ではなく、実に美しい。距離的には東京から近いのに、この秘境感はどうだろうか。

  99 東側の山々                   100 廃屋
   

 栗が落ちていてもだれも拾わないらしい。もったいないことだ。

  101 集落内の紅葉                 102 落ちている栗
   

 三ノ瀬の入り口まで行ってから引き返して、先ほどの茅葺の家まで戻る。例の黒犬は、もう吠えない。それどころか、写真103のように、先頭になって道案内してくれるではないか。そして、数十メートル歩くと、そこで立ち止まり、今度はじっと見送ってくれた。なんと賢い犬だろう。伊達に放し飼いされているわけではないようだ。

  103 道案内し、見送ってくれた犬          104 金鶏寺遠景
   

 秋の紅葉の中にたたずむ質素なお寺は、日本の原風景を見る様でたまらない。

  105 春駒解説板                  106 金鶏寺
   

 ふるさとに欠かせないものは、お祭りとお寺と学校である。
 祭りは、写真105の春駒という祭りが有名らしい。ここでも、黒川金山との関係が書かれている。
 もうひとつは学校であるが、道を挟んだところに、それはあった。本当はいけないのかもしれないが、フェンスもないので、そっと入ってみる。
 廃校になってしまったようだ。しかし、朝礼台はそのまま、校庭は草が生えているものの、雑草が生い茂っているわけではない。そして、驚いたことに、正面の時計は正確な時を刻んでいる。廃校にしては少し違和感を覚えながらも学校を後にした。後で市のHPで調べてみると、その理由がわかった。この学校は休校扱いになっているのである。生徒がいれば、復活する可能性があるということだ。子供たちの歓声が再び響くのは、いつになるのだろうか。今は、ただ、静かにその時を待ち続けているかのような校舎の佇まいである。

  107 神金第二小学校校庭              108 神金第二小学校 その1
   

 学校の全景は、古いアルバム風に白黒にしてみた。

 109 神金第二小学校 その2



 小さな神社も素朴でなんともいえない雰囲気である。その先の二股の道を下ると一之瀬下橋である。これは一之瀬川の流れで、久しぶりに見る、本流である。コンクリートで固められていない、素朴な流れだ。

  110 一之瀬集落の神社               111 一之瀬下橋
   

  112 一之瀬下橋から一之瀬川下流を望む       113 一之瀬下橋から上流を望む
   

 二股を川に下らずに登っていくと、今日の宿である民宿に着いた。笠取山の尾根伝いに、笠取小屋という山小屋があるが、そこのご主人のお母さんの住まいでもあるらしい。そのおばあちゃんに、予定の16時よりもずいぶん早く着いてしまったことを詫びると、庭にその息子さん、つまり、笠取小屋のご主人らしき人がいたので、挨拶する。おばあちゃんは高齢なので、わざわざ、手伝いに来てくれたようだ。私一人のために申し訳ないことをしてしまった。

  114 民宿山の家笠取小屋              115 民宿内の郵便ポスト
   

 玄関の前には本物の郵便ポスト。どう見ても敷地内である。ご主人が沸かしてくれた風呂に入りゆっくりした後にでてきた夕食は写真117のようにとても全部食べきれないご馳走だった。どれも絶品である。グルメがテーマのサイトではないので、一品ごとの評論は割愛するが、おばあちゃんの料理の腕はまだまだ健在のようだ。明日は天気が良いらしいので、安心だ。食べすぎで痛む胃をかばいながら、9時に寝た。電話もメールも出来ないここでの携帯の役割は、目覚まし時計がわりだけである。

  116 民宿前の景色                 117 本日の夕食
   

 ここまで来ると、多摩川も完全な清流である。険しい渓谷が前後に続く中で、丹波山村には穏やかな流れと広い河原を持つほっとするような穏やかな空間がある。
 そして、川が再び深い谷を刻む丹波渓谷は、紅葉の時季でもあり、多摩川流域でも屈指の美しくワイルドな姿を見せてくれた。悲しい伝説の地を過ぎると、川は青梅街道筋をそれて、北上するが、ここでも人が近づけない深い谷底を流れる。
 再び一之瀬川が人間に近づいて穏やかな表情を見せるのは、標高1200mの高原にある、一之瀬集落である。ここでは、川もさることながら、時の流れに取り残されたような、単なる過疎の村というのには惜しいような、なんともいえない懐かしい光景が広がっていた。秘境といっては言いすぎだろうか。住んでいるのはお年寄りがほとんどであろう。バスも来ない、携帯も通じない、商店も自動販売機もないこの集落は、十年後には夏しか人のいないキャンプ場だけになってしまうかもしれない。民宿に泊まり、ここでの一夜を過ごすことが出来たのは本当にラッキーだった。
 明日はいよいよ最後の日になるであろう山登りである。無事に、多摩川の最初の一滴を見ることが出来るだろうか。


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