海岸線をどこまでも
本州一周 (になるかもしれない旅) 千葉県九十九里浜を踏破中
◆第12+21日目(2009年5月2日)
白子
〜
片貝
諸事情により、1月17日以来の九十九里浜である。時間があいてしまったが、もちろん九十九里浜は、文句も言わずに迎えてくれるだろう。
早起きして横須賀線に揺られ、茂原駅に降りると、すでに小湊鉄道の白子車庫行きのバスが待っていた。
1 茂原駅 2 白子行きのバス
茂原駅から結構距離があり、バス料金も500円であった。白子というところは、観光地ではあるのだろうが、何となくつかみ所がない町である。昔テニスをしに来たことを思い出した。
3 白子インター 4 たまねぎまつりの看板
海岸に出ると、川沿いのリゾートマンションが華やかな雰囲気を醸し出している。
5 南白亀川と河沿いのマンション
河口では、潮干狩り?をしている人がいた。
6 新旭橋から上流を望む 7 南白亀川河口
8 剃金海岸 その1 9 ビーチと自転車
このあたりの九十九里浜は、砂浜が広くて美しい海岸である。
10 剃金海岸 その2 11 剃金海岸 その3
気になるのは、このような、直接砂浜に設けられた排水口で、ここでも茶色の水が出ていた。地下水だろうか。
12 工場排水? 13 剃金海岸 その4
14 何の漁? 15 彼らの車
10人くらいの人が海に入って何かを採っているようだ。何を採っているのかというと、答えは写真16のとおり、金網のような道具で貝を採るらしい。おそらく蛤だろうか。
ところで、写真15の様に砂浜に乗り入れるのは感心しない。ウミガメはいないのだろうか。
16 彼らの道具 17 何もない海岸
18 砂丘と青い空 19 ホテル?
波は小さく、サーファーも浜で暇そうにしている。
20 サーファー♀×2 21 堀川河口
22 南四天北海岸 23 ビーチで楽しむ人たち その1
貝採りの人やサーファーではなく、明らかに一般人が増えてきた。海水浴場らしい。そういえばゴールデンウィーク中である。
24 ビーチで楽しむ人たち その2 25 監視塔
26 真亀川橋 27 九十九里町に入る
やがて、真亀川を渡り、その名もズバリ、九十九里町に入る。この町名であれば、どこにあるのか説明は要しないだろう。ところで、このあたりは、亀という字を含む川が多いようだ。
28 真亀川河口 29 サンライズ九十九里
優美な曲線を描く国民宿舎の近くでは子供たちが歓声を上げている。このあたりの浜は貝殻が多く、美しい。
30 はしゃぐ子供たち 31 美しい貝殻模様
32 貝殻の浜 33 貝を採る人たち
34 流木と九十九里浜の広い空
どこまでも広々とした空と海は、日頃の小さな悩みがとるに足らないものであると教えてくれるようだ。
35 砂丘から白子方面を望む 36 砂丘から片貝方面を望む
37 犬と戯れる 38 ビーチのオブジェ群
砂浜には、貝のオブジェが並んでいた。4月29日に作られたものらしい。写真40は最初は何とかいてあるのかわからなかったが、写真に撮ると字が読めた。「祝」という文字が気になる。祝日という意味か、それとも昭和天皇の誕生日のことだろうか。
この芸術作品群は、数週間後には消えてしまうであろう、はかないものであるが、何の因果か、こうしてHPに永遠に記録されることになった。作者はおそらく知らないだろうが、なぜか運命を感じる。もし、作者がこのサイトを見たならば、ぜひ「祝」の意味を教えてほしいものだ。
39 ビーチのオブジェ(富士山?) 40 貝文字
片貝漁港に到着した。このあたりは、砂浜の浸食は少ない。
この
資料
によると、九十九里浜は、南北両端に太東崎と屏風ヶ浦の海食崖という砂の供給源があって、そこからの供給バランスの狂いが侵食の原因であるらしい。たしかに、数ヶ月前に、太東崎がコンクリートとテトラポッドで固められていたのをこの目で目撃している。
そして、この片貝漁港の防波堤のおかげで、この付近の砂浜は広がり続けているらしい。
本来ならば、美しい弧を描くはずの九十九里浜も、人間の自然破壊のせいで、突堤だらけの、でこぼこな海岸になろうとしているのだ。
しかし、この資料はよくできていてわかりやすい。このような
資料
がいつでも無料で見られことを、調査関係者(とそれを支える名もないギャンブラーたち)およびインターネットの恩恵に感謝したい。
41 片貝漁港 その1 42 片貝漁港 その2
43 作田川 44 作田川に係留する船
本来ならば、作田川を渡り、さらに浜を北上すべきところであるが、今日はどうしても行かなくてはならない場所があり、九十九里平野をそのまま内陸側に進む。
45 サーフショップ 46 豪邸
47 浜川 48 真忠組浪士屯所跡
途中で、真忠組浪士屯所跡という柱標があった。真忠組のことは知らなかったが、
ここ
と
ここ
に詳しい解説がある。幕末の出来事らしいが、浪士の反乱はわずか1日で鎮圧されたそうである。
49 牛舎 50 九十九里小学校
田植えの時季である。休みの日を利用して機械で作業をしているということは兼業農家なのであろう。もはや、日本の農業は専業では成り立たなくなってしまった。つまり、産業としてはすでに崩壊しているというのが実態だろう。
51 田植え風景 52 農道
途中に、大きな宗教施設があった。
53 妙智会施設 54 妙智会銘板
55 妙智会聖地 56 伊能忠敬出生の地案内板
さて、先ほどからもったいぶっている今日の訪問地であるが、もちろんこの宗教施設ではない。目的地は、写真56を見ていただければ一目瞭然である。
そう、この旅のインスパイアを与えてくれた、
伊能忠敬
先生(あえて先生という敬称をつける)の出生地である。
伊能先生
は、ここ九十九里で生まれ、佐原で事業に成功し、そしてあの
地図
を作ったのである。つまり、この地はこのプロジェクトの原点であり、このサイトにとっての聖地である。ここは、偉大な先生を生んだこの地に最大限のリスペクトを捧げたいと思う。
57 伊能忠敬記念公園 その1 58 伊能忠敬記念公園 その2
59 伊能忠敬記念公園解説板 その1
60 伊能忠敬記念公園 その3 61 伊能忠敬記念公園 その4
ここは、町により、このように美しい公園として整備されている。
これほどの偉人ゆかりの公園であるにも関わらず、この日は私の他に誰もいなかった。おかげで、平成の伊能忠敬を自称するバカな男は、恩師との再会を果たし、写真63のとおり記念撮影ができたのであった。ちなみに、この像が等身大だとすると、伊能先生の身長は150cm程度だと思われる。以外とチビ(恩師に向かって何という暴言....)だが、当時としては平均的なのかもしれない。
(なお、後日調べた本によると、現存する着物から身長は約160cmだったことが判るそうで、当時の日本人としては決して小さくはないと思われる。)
62 伊能忠敬像 63 伊能忠敬先生との記念撮影
64 伊能忠敬記念公園解説板 その2
65 伊能忠敬記念公園の測量風景図
66 伊能忠敬記念公園 その5 67 田植え風景
伊能忠敬先生の生誕の地を後にして、田園風景の中を東金駅に向かう。
68 宮島池 その1 69 宮島池 その2
バス通りに行く途中に、宮島池というところがあった。写真のとおり美しい公園で、釣り人がのんびりとくつろいでいる光景は、どこか日本のふるさとを想起させ、懐かしさで胸がいっぱいになるようだ。
70 宮島池 その3 71 宮島池 その4
72 宮島池 その5 73 宮島池 その6
74 宮島池 その7 75 宮島池 その8
学園前というバス停があった。先ほど、九十九里小学校の前を通ってきたが、ここには、九十九里中学と九十九里高校があるらしい。まさに、九十九里づくしである。この3校を卒業したものだけが、真の九十九里浜育ちを名乗れるのであろう(本当か?...)。
76 学園前バス停 77 ポツンと建つスナック
このバス停は、写真76のとおり、広々とした公園のようになっている。この時は学生がたくさん利用するからだと思っていたが、後から調べると別の理由があることがわかった。写真では見にくいが、このバス停の後ろ側(車の止まっている場所付近)には、昔、鉄道が走っていたそうである。その名を、九十九里鉄道という。東金駅から先ほど港があった片貝までのローカル線である。詳しくは、
このサイト
を参照してほしい。
とはいっても、この時はそんなことは知らず、バスの時間を確認したが、1時間以上来ないことがわかったので、東金駅に向かって歩き始める。
78 立派な門 79 正気郵便局
歴史を感じさせる道のりである。しかし、九十九里浜から東金までは歩くと遠い。鉄道で結ばれるほどの距離であるから、当然といえば当然であるが。
80 中橋から真亀川下流を望む 81 古い神社
やっとの事で東金駅に着く。思ったよりローカルな駅前である。市街地もお世辞にも都会的とは言えないが、逆にそれがホッとする光景である。
82 東金警察署 83 東金駅
今日は、途中から内陸部に入り、聖地である伊能忠敬先生出生の地を訪ねることが出来た。同時に、九十九里平野の暮らしや歴史を少しだけ感じることが出来た旅であった。九十九里浜の旅はまだまだ続く....。
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