神奈川県一周
いよいよ丹沢の山岳地帯の最終章 山伏峠から明神峠へ
◆第29日目(2011年11月13日)
山伏峠
〜
明神峠
上り特急列車が遅れたせいで、乗っていた沼津行き下り電車も遅れていた。御殿場線は単線なので仕方が無い。5分以上遅れて着いた御殿場駅はいつになく込み合っていた。駅のコンビニで食糧を調達しようと思ったが、行列ができていて諦めたほどである。さらに、旭日丘までのバス乗車券を買おうとしたら、言葉の通じないフィリピン人の女性が窓口でもめていてイライラする。放送によると
ゴルフのマスターズ
と
富士スピードウェイのレース
が開催されているため、電車の遅れや駅の大混雑が生じているようだ。今日は幸先が悪い。嫌な予感がする。
慌ただしく河口湖行きのバスに乗り込むが、途中の道路が混んでおり、篭坂峠の道路工事もあって、山中湖畔の旭日丘には10分遅れて到着した。道志行きのバスは、当然もういない。御殿場方面からのバスは9時47分旭日丘着、道志行のバスは9時50分発なので、ダイヤ上はかろうじて連絡するようになっているのだが、到着を待ってから発車するという配慮はないらしい。しかたがないのでタクシーで行こうと思ったが、あいにく停まっていない。頭に来て、「これだからバスに乗る人がいなくなるんだよな」などと独り言で悪態をついていると、ターミナルに1台のバスが滑りこんできた。なんと、道志行きと書いてあるではないか。唯一の乗客として乗り込むと、バスはすぐに発車した。
運転手さんは「いやー、トライアスロンですかね、ものすごい数の自転車の大軍団がいて、抜かせないので遅れちゃいました。すみませんね−」などと謝るので、「こちらこそ、遅れてもらって助かりました。」と逆にお礼を言った。さっきの悪態はどこへ行ったのか?「災い転じて福となす」。意味はちょっと違うかもしれないが、とにかくラッキーである。
という訳で、今回利用した、午前中に御殿場方面から旭日丘乗り換えで山伏峠へ行く唯一のバス便は、どうもあてにならないらしい。
降りる場所を詳しく聞かれたので話すと、ちゃんと登山口前で停まってくれた。自由昇降バスなんだそうで、タクシー並の便利さだ。
さて、ここから出発だが、前回積み残した課題が2つある。ひとつは、登山口には、旧道のトンネルがあったという情報を現地で確認すること、2つ目は地図上で県境から山伏峠への分岐となっている「大棚ノ頭」を確認することだ。
1 山伏トンネル道志側 2 旧山伏トンネル跡
最初の課題は旧道の突き当り、写真2ですぐに解決した。トンネルのコンクリートアーチの上部が少しだけ露出している。しかし、これでは言われなければ絶対にわからないだろう。
登山口は、トンネル跡手前を左に入る。ちょっと登るとすぐに山伏峠だ。左折して県境に向かう。
3 登山口 4 山伏峠
御正体山の勇姿が近くにそびえるが、麓に緑色の植林地帯がアオミドロのように張り付いていてちょっと残念である。
5 御正体山 6 県境合流地点
県境に着いた。地図によるとここは標高1268mの大棚ノ頭ということになるのだが、前回同様、それらしきピークはない。現地で写真6の右側に写っている道標をよく見ると、大棚ノ頭と書いてある。菰釣山方面と山伏峠方面への道に挟まれたその方向には、目立たないが登っていく道が確かにあった。結構急な写真7の道を登ると、本当の大棚ノ頭に出た。そう、地図が間違っているのである。実際は、菰釣山からの道も、山伏峠への道も、大棚ノ頭を巻いているのであった。
2つの課題が解決した所で、すっきりして山中湖方面へ向かう。いや、その前に大切なことを忘れていた。ここから山梨県側の行政区域は、道志村から山中湖村に替わるのである。思えば、月夜野からここまで、道志村の県境は実に長大で過酷であった。
7 大棚ノ頭へ 8 大棚ノ頭
ササが多い道である。
9 県境を南西へ進む 10 ササの多い登山道
急降下のクサリ場が現れたが、両側が切り立った崖というわけではなく、危険を感じない。
11 クサリ場 12 小ピーク
写真13で不思議な表記をみつけた。確かに「こもつりやま」?と書いてある。初めて見たが、この読み方もあるのかもしれない。
13 不思議な標識 14 鉄塔から見える冨士山
美しい林の中を歩く至福のときである。
15 美しい林間の道 16 ササに覆われた道
人の背丈よりも高いササを濡れながらかき分けると、再び広々とした稜線の道になる。
左から突然ガサガサと音がした。一瞬クマかと身構えたが、その後は何も起こらなかった。
17 広い稜線の道 18 次のピークを目指す
登り切ると、突然目の前が開けて、雄大な景色が飛び込んできた。赤とんぼが舞う中で半分雲に隠れた富士山を眺めて休憩する。富士岬平という場所だ。
19 富士岬平 20 赤トンボ
21 富士岬平から富士山と山中湖を望む
22 富士岬平から篭坂峠方面を望む
富士岬平から次の目的地の高指山に向かう。標高1174mの高指山には、11時38分に到着した。今日はバスの都合で出発した時間が遅いのでしかたがない。高指山からの富士山は残念ながら、さらに雲におおわれてしまった。
23 高指山 24 高指山から山中湖を望む
高指山から下っていく。平野のテニスコートが近くに見える。
25
高指山から切通峠へ
26 平野のテニスコート
右手に富士山を見ながらの、気楽な道である。すぐ下に人家がみえるので、県境の山の中を歩いているという感じがしない。
27 林間からみる富士山
28 平野への道分岐点 その1 29 神奈川県側の急斜面
右側のなだらかな景色に目を奪われて、標高が低いような感じがするが、楽に1000mを越えている。下の地形図を見てもわかるように、山梨県側の等高線の間隔は広いが、神奈川県側の等高線はけっこう密である。実際にも、写真29のように、神奈川県側は急斜面で暗く、谷が結構深そうである。本来ならば、山梨県側も険しい地形のはずだが、富士山の溶岩が押し寄せ、火山灰が降り積もったおかげで、なだらかな高原になったということかもしれない。
30 平野への道分岐点 その2 31 切通峠へ その1
平野へ降りる道の分岐を過ぎて、さらに切通峠へと向かう。
32 切通峠へ その2 33 切通峠へ その3
切通峠に到着した。確かに名前のとおり掘り下げられて切通しになっている。標高は1044mで、大室山から三国山までの甲相国境尾根の最低地点だそうだ。地形図によると先程の写真30の地点も標高1050mを切っており、いい勝負だと思うが。
ここでは、親子連れがお弁当を食べていた。県境でこんなのどかな光景を見たのは、陣馬山以来である。
34 切通峠 35 切通峠道標
ここは東西南北の十字路になっている。しかし、写真36のように、東に向かう丹沢湖方面は通行止めになっていた。
36 通行止めの案内 37 丹沢湖方面への道
38 山中湖方面への道 39 明神山方面への道
次の目的地である。明神山へ向かう。登り基調だ。
40 明神山へ その1 41 明神山へ その2
42 明神山へ その3 43 明神山へ その4
県境は、尾根の防火帯のつもりなのか、幅広く木が切り払われており、戦車でも通れそうな立派な山道である。歩いていても、至極気持ちがいい。
そんな県境も、山梨県側は写真44のように穏やかな自然林であるが、写真45の神奈川県側は手入れがされていない暗い杉林で対照的だ。
44 山梨県側の森 45 神奈川県側の森
46 明神山へ その5 47 ヌタ場
野生動物の痕跡があった。足跡から見て、偶蹄類、たぶんシカだろう。
48 足跡 49 アーチを抜ける
天然のアーチを抜けると、そこには広々とした明るい草原が広がっていた。
50 明神山山頂標識 51 明神山山頂
12時55分、明神山、別名「鉄砲木ノ頭」に到着である。人が多い。ここの眺めは最高だと知っていたので、期待していたのだが、残念ながら富士山は雲の中であった。しかし、この山頂は木が無いので、眺望は素晴らしい。ちなみに
冬はこんな感じ
である。
52 山中諏訪神社 奥宮 53 山中湖を望む
54 雲に隠れた富士山 55 高度計表示
明神山の標高は1291mなので、高度計は正確である。気温は18℃と快適である。風もそれほど強くない。これで富士山が見えてくれたら最高なのだが....
56 温度計表示 57 箱根方面を望む
58 西丹沢・御正体山方面を望む 59 三国山を望む
せっかく登った山であるが、ここから一直線に三国峠までの下りだ。明神山の山中湖側は、草原、ススキ野原になっている。昔、カヤを採っていたのだろうか。
60 山腹のススキ原 61 ススキ原から明神山を振り返る
62 三国峠へ下る 63 三国峠
64 三国峠山梨県側県境標識 65 神奈川県側県境標識
平成23年11月13日、13時22分、ついに三国峠に到着した。車道が走っており、立派な県境標識もある。
ここは、神奈川県最西端である。
神奈川県の公式資料
によると、三国山が東経 138度54分57秒で最西端とされているが、これは誤りで、地形図を見ればわかるように
三国峠あるいはそのすぐ南側が最西端であることは明らかだ。GPSでは
138度54分56.71秒
と計測されている。これで、ついに神奈川県の端、4箇所全てを制覇したことになる。
66 三国峠高度計表示 67 三国峠GPS緯度経度表示
三国峠・三国山付近のGPSログ
念のためGPSログを確認したが、やはり三国峠が最西端である。
68 三国山への登山口 69 三国山へ
登山口にはクマ注意の文字があったので、念のため鈴をつける。三国山への登山道は、直登するため結構急であるが、最後の登りなので一気に行こう。道は黒い溶岩で、かなりえぐれているが、県境標識があり迷うことはない。
70 三国山山頂 71 三国山道標
13時46分、標高1343mの三国山に到着した。ここは、名前のとおり、神奈川、山梨
、静岡
3県の境界である。つまり、生藤山の西側の三国山から、この三国山まで続いた山梨県境とついに別れる日が来てしまったのだ。名残惜しい。
ここから相模湾までは、新しいパートナーである静岡県とのお付き合いが始まるのである。
さて、ここ三国山で、三県の顔合わせという意味での証拠を探しておこう。北東を受け持つ神奈川県は、写真72の鳥獣保護区の標識がその存在を主張している。まだ新しく、真っ赤である。北西を担当するのは山梨県で、写真73のとおり同じ標識であるが、財政事情からか、古びて赤が色あせている。
72 神奈川県側 73 山梨県側
そして、南側を受け持つ静岡県はといえば、赤い標識はなく、代わりに小山町が設置したクマ注意の白い看板があった。まあ、鳥獣保護区なのでクマが出てもおかしくはない。ここでつい口ずさんだ歌は、「あるう日ぃー、森の中ぁー、クマさんにぃー、出会ぁった〜###」だった。が、よく考えたら、本番ではこんな呑気なことは言っていられないはずである。相手は、猛獣だ。逃げたらまず助からないし、万が一クマが向かってきたらストックで戦うしかないのである。子供に嘘を教えてはいけない。
74 静岡県側注意喚起看板
75 丹沢緑の回廊案内図
大きな「丹沢緑の回廊」の説明板と地図が立っていた。解説文には、
「緑の回廊」は、複数の保護林を連続させ、野生動植物間の移動と相互交流を促し、種の保全や遺伝的多様性の確保を進めようとするものです。
と書いてある。まあ、趣旨はともかくとして、これを立てたのが林野庁東京神奈川森林事務所だ、というのが可笑しい。自然林を破壊し、杉を植えまくってきた張本人の林野庁が、林業がダメになったからといって、今さら何を言い出すのかと笑ってしまった。林野庁の目的は林業の振興と国有林の経営であって、自然保護とは正反対である。例えは悪いが、泥棒が防犯ポスターを作るようなものだ。組織というものは、時として組織防衛のためにはその目的さえ、すり替えてしまうものらしい。本来、自然保護は環境省の仕事であるが、お金も力もない役所なのでしかたがない面もある。林業が産業として今後も成り立つ見込みがない以上、
その存在価値を失った
にも関わらず、未だにスギ、ヒノキの植林政策にこだわる
林野庁を一旦解体し、
国有林の自然再生と水源地としての機能向上のために環境省に移管したほうが、
長期的には
政策的にも財政的にも良いと思う。国家100年の計、大胆な発想ができるスケールの大きな政治家が出てきてリーダーシップを取って欲しいものだ。
植林し損なって残った回廊という狭い森を移動しなければならないクマもまた被害者である。丹沢のクマの生息数は1997年の丹沢大山自然環境総合調査の推定でわずか約30頭ということなので、それから15年経った現在ではもう絶滅寸前だろう。
緑の回廊などというごまかしはやめて、この際丹沢湖以西の世附川流域のスギ林を全て切り払ったらどうだろう。ブナやミズナラなどを植樹しても良い。
植林のせいだとは言わないが、林道も自然災害でズタズタである。
どうせ、人工林は手入れしても切り出しても大赤字だ。首都圏のスギ花粉症の原因にもなっており、このまま放置しても何もいいことはない。スギを切っても数十年で植生は回復し100年もすればブナ林に戻るのである。そうすれば、膨大な税金をつぎ込んで売れるあてのないスギ林の手入れをする必要もなくなり、クマを始めとする野生動物の面としての生息地域が確保でき、世附川には渓流魚が戻り、広大なブナ林は首都圏における貴重な観光資源になるだろう。白神山地を見れば、それが夢ではないことがわかる。必要であれば、登山者や釣り人から入場料をとっても良いくらいである。
76 古い石標 その1 77 古い石標 その2
赤いペンキの県境石標を何気なく見たら、書いてある内容からみてかなり古いものではないかと思われた。旧字体で相模国、甲斐国、駿河国、御料地境界点などの文字がみえる。紛れもなく江戸時代までは国境だったのである。
78 古い石標 その3 79 古い石標 その4
クマに会わないように祈りながら、三国山から東へ向かう。
80 三国山から東へ 81 ブナの根
82 鉄塔から西丹沢を望む
木が切り払われた鉄塔は眺めが良い所が多い。が、すぐ下から聞こえるスピードウェイのレースのエンジン音がうるさい。
83 明神峠、足側平野方面を望む 84 富士スピードウェイと箱根山地を望む
三国山には、以外にも素晴らしいブナ林があった。大室山付近よりも良い状態かもしれない。
85 見事なブナ林 86 県道山中湖小山線へ
ここで、県境と登山道は県道を横切る。この、山中湖から小山町に至る県道の名前を調べてみたら面白いことが判った。
Wiki
によると、この道は「山梨県道730号・神奈川県道730号・静岡県道147号山中湖小山線」という正式名称らしい。以前に上野原、藤野にまたがる県道で、神奈川県と山梨県は同じ番号を付けていることを報告したが、ここでは、静岡県だけが仲間はずれなのか協調性がないのか知らないが違う番号になっている。
87 県道脇の道標 88 行方不明者捜索看板
県道の両側には最近行方不明になった老人を探す看板が立っていた。
89 県道を渡る 90 富士箱根トレイル標識
富士箱根トレイルという見慣れない標識があった。
91 明神峠へ その1
92 箱根山地を望む
93 これから行く県境を俯瞰する
素晴らしい眺めのベンチに座ると、いつか歩くであろう県境の山並みがはっきりわかる景色が広がっていた。
明神峠へ続く道は、県道と平行しているが、なかなか素晴らしい木立が続いている。ただし、左側の神奈川県側は暗いスギ林である。
94 明神峠へ その2 95 明神峠へ その3
新しいトイレがあったので、使わせてもらう。
96 新しいトイレ 97 朽ちた道標
すでにに14時45分である。
朽ちた道標には、地名が書かれていなかったが、多分ここが標高900mの明神峠だと思った。高度計は915mを差しており、微妙である。ちょうど近くに男性の登山者がいたので尋ねてみると、やはりここが明神峠だとのこと。県境の標高が1000mを下回ったのは、鐘撞山以来である。どこまで行くのかと聞かれたので、駿河小山まで歩いて行くと答えた。
出発時間が遅いのでこの先の不老山方面には行かず、明神峠から車道を歩いて駿河小山まで行く計画だ。えらく遠いが、車道ならば途中で暗くなってもなんとかなるだろうという計算である。トイレよりも少し下にバス停はあったが、ここから下るバスはない。
98 明神峠バス停 99 手作り案内板
地元の人が書いたらしい手作りの案内板があった。登山道に関する意見も書いてある。調べてみると岩田さんという方が書いているらしい。
100 水の木幹線林道
ここに、大きな
富士箱根トレイル
の解説板があった。三国山から金時山までほぼ県境沿いに延びている。これからのルート計画の参考になりそうだ。
通行止めの情報も書いてある。
「ネーミングは、大きく富士と箱根でいこう。しかし、ハイキングコースではインパクトに欠けるな。トレイルならなんとなくアメリカンで新鮮かも。富士と箱根を結ぶルートは広い小山町内で完結できる。既存のコースをちょっと整備すればそれほど金もかからない。距離が長いので、ちょうど中間の駿河小山駅周辺で休憩や宿泊をしてくれるかもしれない。登山道の整備については岩田さんもうるさいことだし、
中高年の登山客は相変わらず多いからこの企画ならいけるかも。」
以上は、もし、自分が町の企画担当者だったら、という仮定で想像しただけであるが。
101 富士箱根トレイル案内板
102 標高案内図
ここから、県道を駿河小山駅まで歩かなくてはならない。2時間くらいかかるだろうか。愛鷹山の雄大な景色を見ながら車道を歩き始める。
しばらく歩いていると、横に車が止まった。先ほど、明神峠で会話した方とその奥さんである。有難いことに駿河小山まで乗せてくれるという。お言葉に甘えて市街地まで乗せてもらった。お二人は不老山方面に行ってきたという。岩田さんの道標がたくさんあったそうだ。今日は行きも帰りも交通機関に恵まれている日だ。
103 県道から伊豆半島・愛鷹山方面を望む 104 駿河小山駅
GPSによる今日の歩行経路
GPSによる今日の高度記録
今日は、山中湖と富士山の美しい景色を見ながら行く、素晴らしい林間コースの高原ハイキングといった感じであった。そして、ついに神奈川県最西端の地、三国峠に到達し、県境の相手も、三国山で山梨県から静岡県に替わった日である。
次回の県境の旅は、明神峠から東に尾根を辿り、不老山から南下して、酒匂川(鮎沢川)に達する予定である。とうとう丹沢と別れる日が近づいてきたようだ。
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第30日目(2011年11月23日) 明神峠 〜 駿河小山駅
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