狩 野 川 探 訪
伊豆天城山の山中を源流として北へ流れ、修善寺を経て柿田川を合流し、沼津で西向きに流れを変えて駿河湾に注ぐ美しい河川だが、その名を有名にしたのは昭和33年に来襲し多くの犠牲者を出した狩野川台風である。
◆第4日目 (2010年5月4日) 道の駅天城越え〜源流
前日に引き続き、伊豆修善寺に来た。今日は修善寺駅からバスにのって終点まで行かなくてはならない。切符を買って駅前で待っていると、写真1のボンネットバスが来た。運転手さんに昭和の森行きかどうか尋ねると、そうだというので早速乗り込む。ラッキーなことに昨日湯川橋近くで見かけた、伊豆の踊子号に当たったようだ。
バスに乗り込むが、カード読み取り機はおろか、料金箱もない。ではどうするかというと、昔のバスと同じである。写真2のとおり車掌さんが乗っているのである。とはいっても普通の車掌さんではない。踊子の衣装を来て、昔ながらの黒いカバンを下げたかわいい車掌さんである。
これなら特別料金を払っても良いくらいだが、料金は普通のバスと同じだった。
1 伊豆の踊子号 2 車内
座席は昔風だが、シートや塗装は綺麗である。現代のバスと違って乗り心地はゴツゴツしており、エンジンもうなる割にスピードはでない。シートは窮屈であるが、子供の頃のバスはこうだったのかと懐かしい気持ちになった。
自動ではないドアの開け閉めをした後、途中乗ってきた人のところに行って切符を販売する踊子さん、じゃなかった、車掌さんは、結構大変そうだ。
車内の動画
3 踊り子号の解説 4 昭和の森会館バス停
この楽しいバスの旅もあっという間に終わり、終点についた。踊子さんともお別れである。
バス停の名前は、道の駅ではなく、昭和の森会館となっている。
ここから、踊子歩道を歩き始める。今日は本格的な登山になりそうなので、靴はトレッキングシューズである。
5 踊子歩道 その1 6 御礼杉解説板
道の駅からしばらくは公園になっており、色とりどりの木々が美しい。
7 踊子歩道 その2
8 踊子歩道その3 9 踊子歩道その4
10 山神社 11 踊子歩道その5
12 流れ込む支流 13 踊子歩道から見る狩野川
14 踊子歩道解説板 その1
15 渓流となった狩野川 その1 16 滑沢渓谷入口の橋
17 16の橋から下流を望む 18 井上靖文学碑
19 16の橋から上流側を望む
沼津で駿河湾に流れ込んでいたあの雄大な狩野川が、ここではこんな美しい渓流になっている。
20 踊子歩道その6 21 流れ込む支流
22 砂防ダムによる池 23 踊子歩道その7
踊子歩道は狩野川から高くなったり近づいたりしながら続く。狩野川の水は青く澄みきっている。
24 渓流となった狩野川 その2 25 渓流となった狩野川 その3
26 渓流となった狩野川 その4 27 渓流となった狩野川 その5
この踊子歩道の本来の姿が現れた。天城街道である。江戸時代はともかく、明治の終り近くまで、下田へ続く唯一の幹線陸路がこの登山道のような道だったとは、ちょっと信じられない気がする。写真29の石積みに、時代が感じられる。
28 天城街道解説板 29 天城街道(踊子歩道)
30 左岸に渡る橋から上流を望む 31 踊子歩道その8
天城遊々の森についた。昔はキャンプ場だったらしい痕跡があちこちに残っている。天城街道はここから旧天城峠、現在の二本杉峠に抜けていたらしい。
32 天城遊々の森 その1 33 天城遊々の森 その2
森林鉄道の車両が保存されていた。
34 天城遊々の森 その3 35 天城遊々の森 その4
36 天城遊々の森を流れる狩野川
37 渓流となった狩野川 その6 38 踊子歩道その9
美しい渓流が続く。これまで、かなりの渓流を見てきたが、水の清冽さは他に類を見ないほどだ。水量もかなり多い。
39 渓流となった狩野川 その7 40 渓流となった狩野川 その8
水生地下という場所に出る。駐車場があるが、ここが新旧天城トンネルにつながる道の分岐点である。旧道を登っていく。1904年から1970年まで使われた道である。当然、川端康成も踊子たちもこの道を歩いているはずだ。狩野川源流も、途中までこの道に沿って流れている。
41 水生地下 42 旧道分岐点
43 案内板
44 旧道からみた源流 その1 45 川端康成文学碑 その1
ついに、主役の登場である。天城トンネルを有名にした立役者、川端康成先生である。たとえ、小説は読んでいなくても、何度も映画化されているので、伊豆の踊子を知らない人は少ないだろう。大正7年の川端康成の実体験を元に書かれた小説なので、実在のモデルもいたらしい。伊豆大島に住んでいたというが、彼女はその後どんな人生を送ったのだろうか。少し興味をそそられる。しかし、映画では、吉永小百合や山口百恵など、当時の日本を代表する女優さんが踊子を演じているので、実物を見ない方が夢が壊れなくて良いかもしれないなどと、とりとめもないことを考える。
ところで、作者の川端康成は、ノーベル賞までもらったのに、昭和47年に自殺している。筆者はちょうど中学生だったが、その報道に強いショックを受けたことを覚えている。
46 川端康成文学碑 その2 47 川端康成文学碑 その3
しら橋に着いた。ここで旧道に別れを告げ、本谷林道に入る。伊豆の踊子の描写によると、ここに茶屋があったらしい。現在は、この駐車場に車を停めて、歩いて旧天城トンネルを見に行く人が多いようだ。
48 しら橋付近 49 本谷林道入口
50 氷室園地案内図
狩野川沿いに遡るためには、ここから本谷林道に入り、さらに水生地歩道を登っていく。
51 案内図
この林道は一般車は通行止めであるが、歩行者はゲートをくぐり抜けるようにとの指示がある。
52 本谷林道ゲート 53 本谷林道
54 本谷林道からみた源流 その1
非常に傾斜がきつく、半分滝のような渓流になってきた。
55 支流のわさび田 56 本谷林道
ここから、水生地歩道に入る。いよいよ本当の登山道になった。
57 水生地歩道入口 58 水生地歩道 その1
59 水生地歩道からみた源流 その1 60 水生地歩道 その2
右下には狩野川源流が流れており、音はよく聞こえる。誰も歩いていないこの急坂は、さすがに辛い。途中で、体力の限界になったので、道端の石に腰をおろし、昼食のおにぎりを食べる。しかし、本当の地獄はこの後だった。食べ終わって、登山を再開するが、足の筋肉に乳酸が溜まっているのが自分でもわかる。ノロノロと登っていたら、足の血流が乳酸を運び去ってくれたのか、少し楽になった。
しばらく歩いていると、私の聴覚に明らかな違和感を感じた。今まで聞こえていた渓流の音が後ろの方に追いやられた感じがしたのである。正確に言うと、前後から聞こえていた水の音が、後方からしか聞こえなくなったということだ。
もしやと思い、写真62の獣道の急坂を藪をかき分けながら降りていく。
61 水生地歩道からみた源流 その2 62 源流に降りる獣道
そこには、あまりにもわかりやすい源流の始まりの光景があった。
まず、下流側は写真63のように、水量は少ないながらも勢い良く水が流れている。まさに狩野川源流である。そして足下を見ると、写真64と65の2箇所から水が湧き出していたのだ。写真64は礫の間から明らかに水が湧いているのが確認できる。
63 源流 その1 64 源流 その2
写真65の方は、大きな岩の間から水が湧き出している。こちらの方が水量は多い。
65 源流 その3
写真65の湧水地点に近寄って撮影したのが、写真66である。透明な水が岩の下からこんこんと湧いているのがわかる。その岩の全体を撮ったのが写真67である。まさに、この巨岩の下から突然狩野川が始まるのであった。
世界で初めてカメラが入る狩野川源流(動画)
平成22年5月4日12時35分、ついに記念すべき狩野川源流の最初の一滴、というよりも最初の一湧に到達したのであった。
66 源流 その4 67 源流 その5
狩野川が始まる最初の湧水地点から、上流を見上げたのが写真68である。一部水が溜まっているところはあるが、流れはなく、完全な涸沢である。雨が降らなければ水は流れないのだろう。
68 源流 その6
この湧水池点を見つけたときは正直嬉しかった。人里近くから始まる川ならともかく、険しい山岳地帯を源流とする川の最初の一滴を確認することは、道がないなど地形的な条件から、なかなか難しい。成功例は
多摩川
、
新崎川
、
森戸川
くらいであろうか。
酒匂川
、
金目川
、
渋田川
、
鈴川
、最近では
狩川
などは、源流あるいは最初の一滴の近傍までは辿りつけるものの、いくつかの理由から最初の湧水池点は現認できなかった。どうしても見たければ、沢登りの装備と技術が必要なのである。それだけに、この伊豆の盟主ともいえる大きな川の最初の一滴を紹介できたことは本当に嬉しい。
名残惜しいが、4日間かけてここまでたどり着いた狩野川探訪もここで終了である。狩野川の景色は、どこをとっても伊豆の明るい空気と美しい自然に彩られていた。また、その豊富な水量と急流と変化に飛んだ流路、美しく澄んだ水質も特筆される。どこを歩いても楽しい川歩きが出来る。しかし、狩野川台風のように時として自然の猛威をふるうことも忘れてはならない。
これ以降は、エピローグになるが、実は「伊豆の瞳」と言われる、ある場所まで行くつもりだったので、そのままさらに登っていくことにした。もし、時間と興味があれば、引き続きご覧頂きたい。
さて、源流を確認した後、登山道へ復帰し、更に上を目指すとやがて狩野川に続く沢を横断した。その時に上流側を撮影したのが写真69である。完全に水はなく、先程の場所が狩野川の最初であることを再確認する。
69 涸沢の横断 70 水生地歩道 その3
71 苔生した巨木 72 水生地歩道から見た林 その1
高度を上げるにつれて、雰囲気が高山らしく原生林のような感じになって、写真71〜73のような非常に素晴らしい光景を見ることができる。苦労して登ってきた甲斐があったというものだ。
73 水生地歩道から見た林 その2
山道を登って、ついに尾根に到着した。その木々の合間から見えるのは、写真75のような湖面である。八丁池だ。
74 水生地歩道 その4 75 八丁池遠望
76 案内図
八丁池
のほとりに立つ。伊豆の瞳と呼ばれる標高1125mの天城山の火口湖である。ここが今日の目的地だ。出発地である道の駅の標高は450mなので、尾根から池に降りてきたことを考えると、約700mを登ってきたことになる。道理で疲れるはずだ。
77 八丁池 その1 78 八丁池 その2
芝生の広場があって、のんびりと休んでいる人がたくさんいた。今日は生憎の曇り空だが、青空だったらもっと美しいところだろう。
79 八丁池 その3 80 八丁池 その4
81 八丁池 その5
池の近くまでバスが来ているが、時間が合わないので、来た道とは違う登山道を降りることにした。
82 下り御幸歩道 83 旧天城街道
本谷林道を下って旧道に出たが、せっかくなのでそのまま旧道を歩いて旧天城トンネルまで行くことにする。
84 旧天城トンネル 85 旧天城トンネル記念碑
一高生が踊子の旅芸人の一行に追いついて再会を果たす場所である。小説では次のような描写がある。
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見とれながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。折れ曲がった急な坂道を駆け登った。ようやく峠の北口の茶屋にたどり着いてほっとすると同時に、私はその入口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。そこに旅芸人の一行が休んでいたのだ。
突っ立っている私を見た踊子がすぐに自分の座布団をはずして、裏返しにそばに置いた。
(伊豆の踊子より抜粋)
大正時代と同じ姿のまま今もトンネルは周囲に冷気を拡散させている。ここまでが伊豆市、トンネルの向こうは河津町、南伊豆の入り口である。
86 旧天城トンネル解説板
新道まで10分との標識があり、隣にバスの時刻表があった。あと10分後である。間に合うかどうか分からなかったが、階段を飛んで駆け下りて5分で到着。無事バスの人となった。
87 天城峠バス停 88 新天城トンネル
こうして、伊豆狩野川の旅は終わった。
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